新カトリック大事典 凡例・目次など 前項へ  次項へ


アイデンティティ
〔英〕 identity, 〔独〕 Identität, 〔仏〕 identité
 
【定義】ラテン語の identitas に由来し, 「同一性」 ないし 「身元」 「そのもの自身」 などを意味する. 哲学では, 主に同一律のような論理的原理あるいは存在論的原理の問題として取り上げられてきた. 人間の心理的側面についていえば, アイデンティティとは, 共時的・普遍的には現在あるがままの自分すなわち自己同一性 (〔英〕self identity, ないしは自我同一性 ego identity) を意味し, 通時的・発生的には人間が現在の自分となった, その形成過程を示す.
 
 1950 年代に, 精神分析的自我心理学におけるアイデンティティ理論を確立したエリクソンによれば, 人間が自己の同一性についてもつ意識的感覚であるアイデンティティは, その人間の社会的発達に示されるライフ・サイクルと不可分の関係にある. 現代の心理学におけるアイデンティティ論は, フロイトの心理力学 (psycho-dynamics) 理論の展開であるこのエリクソンの理論, およびピアジェの認識理論, コールバーク (Lawrence Kohlberg, 1928-87) の道徳発達論などに基づいている.
 
【ライフ・サイクルとアイデンティティ】認知的, 情動的, 道徳的行動の核をなす自己の形成過程という点からみると, 自我の発達は以下に述べる 6 段階に順次分けられる.
 
 (1) 感覚的自己. この段階は, 感覚運動, 衝動的絶対的自我の時期であり, 基本的には自分が徐々に他者から独立していく過程である. 現代の西欧型社会において, この段階での他者とはおおむね母親のことだが, それ以外の親を含むこともある.
 
 (2) 個人的自己. 他人も自分と同じように生命と価値をもっているという事実を受け入れるときに, 最初のアイデンティティの危機 (identity crisis) が訪れる. この危機は 「いまわしい両者」 (terrible twos) として現れ, 自我は思春期の特徴である孤独という形をとるようになる. この際, 自分と他者が違うということから生じる孤独と, 他者から切り離されているという実存的意識から生じる寂しさとは異なることに注意する必要がある.
 
 (3) 人間的自己. 他者との出会いの前提条件として自己の独自性 (uniqueness) を受け入れることにより, 人は一個の人間, すなわち他者を他者として受け入れ, 愛することが可能な人間となる. 人間的自己の特徴は対話の能力にある. しかし西欧型社会では自我の発達の最高段階と考えられてきたこの場面でも, 二つのアイデンティティの危機が生じうる. 一つは, 愛するものを失った場合, もう一つは, マイホーム主義のような自分中心主義を保守しようとして, それを超えることを拒否する場合である.
 
 (4) 社会的自己. 自分中心主義を超えたところに, 社会制度のみならず心理的制度そのものである自己をも包括する社会性, すなわち制度主義がある. ここでは, 一個の人間であることは, つねに自分が知りうる以上のものであるということであり, したがって人は現在の社会的・心理的バランスを確固としたものとして受け入れがちになる. 成長するとは, 自分が知っている自己 (セルフ・イメージ) のコントロールを知られざる自己に委ね, そこに存する制度性に帰属することである. このようにして確立される社会的自己は, しかしながら現代においては, 社会制度への盲従による自然の支配への傾向をもつことが多く, ときにはそれは自我の破壊にすら結びつく場合もみられる.
 
 (5) 普遍的自己. 現代の用語でいうならば 「エコロジカルな自己」, すなわち自然の一部としての自己を指す. 仏教思想において, 「小我」 (smaller self) を包摂する 「大我」 (greater self) にあたるものもこれに近い. 西洋思想では, 神秘主義において精神と自然の結合としての神秘体験が語られてはいたが, 従来どちらかといえば人間精神と自然との調和的結びつき, 親和性を軽視しがちであった. 最近になってこうした点の見直しが急速に進められている.
 
 (6) 永遠の自己. 上述した普遍的自己が, 神による創造の全体と自分とのつながりを認識している場合には, 自己は単に世界全体という空間性ばかりでなく, 過去と未来という時間性全体とのつながりをも認識している. こうした時空全体を創造した永遠そのものにあずかっている自己という見方は, キリスト教における復活の理解にもみられる心理学的な事実であり, そこでは自己の歴史はそのまま世界の歴史となっているのである.
 
【アイデンティティの危機】自己はその発達過程において絶えず推移するものであり, したがってつねに危機に瀕するものである. エリクソンによれば, 危機とは, 現在の心理的バランスへの脅威であるのみならず, バランスを突き崩してさらに進もうとする誘惑である. 感覚的自己は, 他者を他者とみなすことにより成長する. 個人的自己は, 愛のもつリスクを引き受けることにより成長し, 人間的自己は, 孤独に留め置かれることを拒否することにより成長する. 社会的自己は, 成長を中断したいという誘惑をはねのけることにより成長する. 普遍的自己は, 自然界における自己の位置を認識することにより成長し, 永遠の自己は, 過去を受け入れ, 不安に満ちた希望のうちに未来を待つことにより成長する.
 
【キリスト教的アイデンティティ】アイデンティティの心理学的発達過程が, 過去の古い自我からの 「分離」 と新しい自我との 「出会い」 という表現で表されるとすれば, キリスト教的アイデンティティは 「死」 と 「復活」 とによって象徴されるであろう. キリスト者はつねに新たな者でなければならない. 新しさとは, 現在の自我をつねに自らの後ろに追いやることである. この基本的過程は心理的成長と同じ方向であるが, その基本的形態は神学的でなければならない.
 
【文献】
T. Luckmann, et al., “Anonymität und persönliche Identität,” CGmG 25: 5-38.
Conc(E) 196 (1988).
E. H. エリクソン 『自我同一性』 小此木啓吾編訳 (誠信書房 1979): E. H. Erikson, Identity and the Life Cycle (New York 1959).
J. M. リベラ 『新人間の宣言』 (あかし書房 1983).
R. Keagan, The Evolving Self (Cambridge 1982).
(理辺良保行)



新カトリック大事典 © Academic Corporation: Sophia University
前項へ  次項へ